つい先日、Twitterで以下のようなツイートを見かけた。
曰く「健常者がファッションで車椅子を使ってる」
しかもこれは言いがかりだったそうで、歩けない時があるから使ってる、とのこと。
なんだ、健常者のファッションじゃなかったのか、よかったよかった。歩ける時と歩けない時があるなんて知らないと分からないから仕方ないね。 そんな声が聞こえる。後者は流石に思ってない人でも、前者は思ったのではないか? そんな気がしてしまう。(このタイトルで読みに来てる以上、良識がある人の方が多いだろうとは思っています)
言わせてもらいたい。
ちっともよくなーーーーーい!!!
つかこの件で誰が得したよ。
この件でいいことがあったとしたら、自称正義の健常者がいいことした風になって気分良いだけじゃねぇか。
つまり良いことしたいと思ってる奴がなんか良いことしたと思って終わってる。
当たり前だけど良いことはされた側が「してもらった、ありがとう」ってなって初めて良いことになる。*1
さて、少し口が悪くなってしまったが、ここから真面目な口調で仕切り直していこうと思う。
確認しておきたいが、私が憤っているのは、件の批判先が冤罪だったからではない。もし、ファッション車椅子*2の疑義をかけられた相手が本当にファッション車椅子だったとしても、同じように憤っていただろう。
*1:勿論、人知れず助ける美学というのもある。それを否定する気はない。ただやったならそれは感謝されるべきだし、感謝されないものはありがた迷惑である可能性を常に孕む、と、そういう話である
*2:そもそもこの言葉自体に是非があると思うが、ここでは論点を分かりやすくするため意図的にこの言葉を使う