こんばんは、アモルです。ドラコロ*1を昨日から今日にかけて遊んで記事にしようかなと思ってたら、謎に執筆の筆が乗ってしまい、ドラコロを全く遊べませんでした。と言うわけで、正直荒れる原因にもなりそうなので、避けた方がいいよなー、と思ってる言及記事を書きます。
事の発端はとある同人作家が、マシュマロ*2の発言に、匿名で日頃の行動に対する注意をされた事に怒り狂っているのを目撃した事、そして、匿名で意見すること*3を問題視する意見に同調する人々を見た事である。しかし、私は匿名で意見する事が問題だとは思えない。ここではそれを語っていきたい。
前置き
さて、本題に入る前に、「匿名の定義」と「匿名の普及」という前置きについて語っておきたい。
匿名の定義
そもそもネット社会に匿名性というものは本来ない。よっぽど隠す手を講じればどうにかなるのかもしれないが一般的に本当の意味で匿名、つまり誰の発言かを知られずに発言する事は不可能だ。なのでここでは、「見かけ上、発言者が不明となっている」と言う意味で匿名性と言う言葉を用いる。予め理解して読んで頂きたい。
匿名性の普及
匿名で何かをする、と言うシステムは、それこそ掲示板の2chや、あるいはツイッターも厳密には匿名である。だが、ツイッターに関してはハンドルネームがそのまま通り名であり、捨て垢でない限りはそれなりに匿名でない、と見なされるようになってきた気がする。もちろん、ホイホイ名前やIDやbio*4を変えていくようなアカウントはやや怪しいが。
個人的な見解として、それに変化が生じたのは、2017年のPeing/が発端では無いかと感じている。peingは所謂「質問箱」と言われるコンテンツで、これを発端に、褒めて箱や、マシュマロといった類似コンテンツが生まれた。本文の最後にリンクがあるから知っている人も多いかと思うが、私もマシュマロを利用している。これ以前にもask.fmのような類似コンテンツはあったが、どういう訳か、peing以降のサービスは急速にツイッター内で普及したように思う。この理由について私が見解を述べるつもりはないが、ともかく、匿名で発言をする、というのが当たり前に出来るようになりつつある、という事である。
本題
匿名である事の問題点
先に語っておくと、匿名である事には問題点が存在する。それだけで悪ではないにせよ、問題点があるのは事実なのだ。その1番のものは「匿名である事で普通なら面と向かって言えないような発言をしてしまう」という事だ。これが暴言に繋がり、SNSの匿名が信じられていた頃は*5、フレーミング、所謂炎上へと繋がったりした。これは匿名である事により、「自身の発言に責任を持たなくて良い」というのが大きい。反論されないし、間違っていても責任を取らされることもない。*6ともかく、匿名であると言うことは誹謗中傷が行われる可能性があるということであり、それはもちろん悪いことだ。それを悪ではないと言うつもりはない。とはいえ、あらゆる物はプラスにも転じることができるのだ。
面と向かって言えないことを言えることこそが匿名性の利点じゃねーのって話
で、結局のところ、それこそが私にとっては本題である。
卑怯だと言われようが、なんと言われようが、人間、匿名の方が発言しやすいのだ。児童相談所だって、労働基準監督署だって、匿名で通報が出来る。なぜかと言えば、その方が通報しやすいからだ。実際には先述のように、匿名の通報者は責任を取らずに好きなことを言う可能性もある。だからだろう、先に例にとった二つも匿名よりは実際に足を運んで通報した方が動いて貰いやすい。ただ、それでもないよりは匿名で情報を貰えた方が有難いのだ。
自分に置き換えて考えてみてほしい。赤ちゃんもいるような禁煙のスペースでタバコを吸っている人がいたとする。そこであなたは「禁煙ですよ」と注意できるだろうか? あなたが出来るくらい行動力がある、と言うのであれば、もしかすると、行動力のない人の気持ちは分からないかもしれないが、少なくともこの世界はそういった注意を出来る人ばかりでは無い。そんな時、どこかの誰かとして「禁煙ですよ」と伝えられるとしたら、そう言った人でも伝えられるのではないかと思う。しかし、実際には「匿名は卑怯だ」とか「匿名は説得力がない」とか勝手な理屈がまかり通り、そう言った匿名でさえ尻込みする人間がいる。これらは、悪く言ってしまうなら、匿名を悪だと考える人々のせいである。
私がマシュマロを置いているのにはその理由がある。記事の情報が間違っていた時、面と向かって指摘する勇気のある人にだけ指摘してもらおうというのでは、不誠実だからだ。匿名で遠慮なく間違いを指摘してくれればと思っている。
そもそも面と向かって言わなければならない理由とは何か
誹謗中傷はもちろん悪い。だが、そうでないものを匿名で言われることを嫌う理由がどこにあるのだろうか。
敢えて言うが、「匿名なんて捨てて面と向かって話せよ」と言う、それは、ヤクザの「事務所で話し合いましょう?」というのと変わらないのではないかと思う。お仲間たくさんのところでしか指摘は聞きたくない、と言う訳だ。卑怯者はどちらだろうか?
指摘を不当だと思うのなら、そう言えばいい。指摘を真っ当だと思ったなら、そう言えばいい。そうせず、「面と向かって話をしろ」と言う理由は? 相手が匿名なのをいい事に逃げているだけにしか見えないのだ、それは。
「いやいや、面と向かわないと議論が出来ないじゃないか」と言う人がいる。しかし、匿名でも議論は出来る。匿名の投稿に返事をし、その返事に匿名で返答が返ってくる。必要なら、匿名の投稿をもらっている側が「議論①」と言った風な識別用のものを書き込みの頭につけて貰えばいい。逆に向こうがそれに従わないようなら、それは話し合いに臨まないと言う事であって、その時初めて、「話し合いをする気がないなら、話にならない」と言う結論に至れる。むしろ繰り返しになるが、匿名で指摘すると言う選択肢を選んだ相手に「面と向かって以外の話は認めない」と言うのは、それはそう言ってる側こそ「話し合いをする気がない」としか判断できない。
好き勝手に私の見解を話した。「いや、匿名だとこんな理由でダメ」という私の想定を超えた事情もあるかと思うので、そう言ったことは、遠慮なく私に伝えてくれたらいいと思う。私の記事の最後にはツイッターのフォローボタンや、ツイートするボタンの他、マシュマロへのリンクもある、活用してほしい。*7
補足
ただ言い方の問題はある
それはそれとして、どこの世界にもそうだが、言い方で損してる奴がいる。あるいは、意図してる可能性もあるが。要は口の悪い奴、態度の悪い奴だ。これは口が悪い方、態度が悪い方が悪い。けれども、やはり、誠実にあろうと言うのであれば、それを理由に相手の主張から逃げるのはどうかとは思う。それは結局、相手の口が悪いのを理由に逃げているだけに過ぎないからだ。とはいえ、そんな口悪い奴とは議論したくないだろうから、そこは仕方ない部分かもしれない。
総括
匿名であることそのものを悪にしてはいけない
ともかく、「相手が匿名であること」を理由に何かするのは認められてはならないと私は思う。わざわざ面と向かって自身の身分を明かして何かを言わなければならない世界というのは、それが出来ない多くの小心者を抑圧する世界なのである。それが正しい世界であってはならない、少なくとも私はそう思う。
関係ないけど、この記事自体が割とお気持ち感あるよね。そう思いながらここまで読んだ人も多そう。しかし、私は本気で、匿名であることを理由に意見が跳ね除けられる世界に未来はないと思っている。というのは分かってもらえると嬉しい。
【XPデザイン】 無地 ホワイト 人面 サバゲー ヒップホップ ダンス お面 フェイス マスク 仮面 仮装 コスプレ サバイバル (ホワイト 白色 1個セット)
- 出版社/メーカー: XPdesign
- メディア:
- この商品を含むブログを見る